VF400F (HONDA)   (1983年6月〜1984年6月)    
2011年3月29日 編集
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1984年

4月4日


撮影
初めてのオートバイ  
 初めてのオートバイ。 (原チャリは除く) 

 自分が高校生だったとき、神奈川県は3ナイ運動の全盛期!
 気合いが入っていない高校生がバイクを持つことは、ほぼ不可能だった。 (^^;)

 大学に入って、入学祝いで親に買ってもらった。

 社会人の今にして思えば(子供はいないが)、大学に入れてもらった上に、入学祝いと称してバイクなんて買ってもらうのは、タカリと一緒だね。(笑) (親に感謝)

 写真は大学時代に住んでいたアパート。
 隣のSSSブルーバードは同じアパートに住んでいた先輩の車。 赤のSSSは当時の大学生の人気車だった。

 写真は'84年4月4日だが、購入したのは'83年6月
       
1983年

10月頃
 伊豆ツーリング 
 大学の仲間と伊豆へツーリング。

 まだ一般市販車のカウル装着が認可されておらず、VFやRZ-Rに装着されているちっちゃいカウルはメーターバイザーと呼ばれていた。
 この当時、バイクの基本はネイキッドだが、”ネイキッド”と言う言葉自体出てきたのも、カウル付きのバイクが出てきてからだ。
 エンジンも空冷→水冷、SOHC→DOHCへの移行期。

 写真には”刀、CBX400F、XJ400、Z400FX、GPZ400、RZ-R、RZ250、GSX400F などが並ぶ。
 (今、写真を見ても、大体車種が分かる自分の記憶力に妙に感心!)(笑)

 当時、一発試験でしか取得できなかった限定解除(大型免許)は羨望の的。

 『バリバリ伝説』が一番盛り上がっている時代だった。

 本題のVFはと言うと、レーサーレプリカが出る直前の過渡期。
 フロント16インチがクイックな運動性をもたらせていたが、フレディースペンサーではない初心者の自分には扱いきれず、1年で6回ほど転倒した。
 最初のスポーツバイクと言うこともあり、グリップ感とかトラクションとかまったく知らず、『他の人が曲がれるところは、自分も曲がれる!』と信じて走っていたのだから、今にして思えば転ぶのも当たり前だね!(笑)

 幸運にも、擦り傷程度で、怪我はほとんどしなかった。

 写真は西伊豆スカイライン。

 デザイン的にマッチしているジャンパーは、実はSUZUKIのジャンパー。(笑)
 クラッチカバーの下が、転倒で少し削れている。(汗)
       
1984年

6月2日
 箱根ツーリング    
 大学の同じ学科で同じVFに乗っていた仲間と箱根にツーリング。

 写真は乙女道路(現国道138号線)。
 晴れていれば、バックには富士山が見えるハズ。

 84年6月当時、有料道路だった。

 有料道路だったこともあるのか、当時は今ほどの交通量はなく、バイクにとって絶好のワインディングロードだった。

 後ろを走っている赤いバイクもVFっぽい?

 写真の前後関係は分からないが、芦ノ湖スカイラインの三国峠。

 当時のカメラは当然デジカメなんかじゃないし、ズームも付いていなかった。
 なので、写真を撮ると、こんな小さくしか撮れないことも。

 こう見ると、ワンボックスって進化してないね。(笑)
 

 写真は箱根スカイラインか芦ノ湖スカイラインのどっちか。
 当時、カーグラフィックTVでよくロケに使われた道だ。

 気合い十分で、体はイン側に落ちているが、バイクは全然寝ていない。(笑)
 一番かっこわるいパターン。(^_^;)
 それでも、当時は一生懸命。

 このコーナーだビシッとバンクさせるには少なくとも100キロ以上出てないとね。 

       
1984年

6月9日
 船橋港 
 この時期、千葉の船橋に住んでいた。
 学生身分の自分はツーリングに遠出するガソリン代があまり無かったので、土曜日の午後など、授業が終わったあと、近場の船橋港へ。

 埋め立て地だった当時の船橋港周辺は、まだ企業誘致の途中で、空き地がたくさんあった。
 そんな工場や倉庫が建つ前の船橋港周辺で、同じところをグルグル回ってバイクの練習。
 (時効ですよね。(^_^)v)

 写真でも分かる様に、自分たちが走っているころは、ほとんど誰も走っておらず、貸し切り状態。
 
 しかし、その後とんでもないことに。 週末ともなると何百台ものバイクが集まり、走るようになっていった。

 
 
 VF400Fのフロントブレーキはステンレスではなくタッチのよい鋳鉄ディスクを採用していた。
 鋳鉄のディスクはすぐに錆が出て見た目が悪いので、HONDAはそのディスクを隠すため、インボードディスクというデザインをCBXから採用していた。
(一番上の写真を見るとよくわかる)

 ディスク板を内蔵させていたため、放熱性が悪く、こういった場所でジムカーナ的な走りをすると、フェードを起こすは、パッドカスが燃えてブレーキから煙が出ることもしばしば。
 後から発売された、VF400インテグラは普通のダブルディスクに変更された。

 Gパンなので、ヒザをすらないようにと、ヒザを引っ込めているが、本人が思っているほどバンクしていない。(爆)

 思いっきり走った後は、ブレーキを冷やすためにしばらく休憩。

 今のバイクと比べると、リヤタイヤが細っこくて心細いね。

 VFはほぼ1年間、24,000kmぐらい乗った。 

 そして、この1週間後ぐらいに廃車になって伝説となった。
 (知っている人は知っている)

 自分のバイクが『走る実験室』にされては、かなわないと、この後しばらくHONDAのバイクから遠ざかることになる。

 ※ 『レースは走る実験室』と言ったのは、本田宗一郎。